第46歩:熊野三山

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キレイな姿勢をめざすブログです。

おはようございます。

 

第46歩 熊野三山

 

 「熊野」は、

和歌山県南部~三重県南部

の地域を指します。

和歌山県南部に「熊野三山

と呼ばれる三つの大きな神社があり、

熊野三山へお参りするための道を

熊野古道といいます。

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熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社を合わせて熊野三山といいます。
熊野の神々は自然信仰に根ざしていましたが、奈良~平安時代にかけて熊野は仏教・密教修験道の聖地ともなり、神=仏であるという考え方が広まりました。
その影響を受けた三山は結びつきを深め、同じ12柱の神々(=仏たち)をおまつりするようになります。熊野三山の神秘性はますます高まり、平安時代の末には「浄土への入り口」として多くの皇族や貴族がお参りするようになりました。浄土へお参りし、帰ってくるということは、死と再生を意味します。そのため熊野三山は「よみがえりの聖地」として、今なお多くの人々の信仰を集めています。

 

 

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大斎原の大鳥居

 

 当社のいたるところに見られる3本足のカラス。日本サッカー協会のシンボルとしても有名な、八咫烏やたがらすです。八咫烏は、日本書紀古事記の「神武東征」という物語に登場します。
これは神武天皇が、宮崎県(日向)から奈良県(橿原)に都を移し、大和朝廷を開いて初代天皇に即位するまでを描いた物語です。神武天皇が熊野に到着された時、神の使者である八咫烏が奈良まで道案内をしたというエピソードから、熊野三山に共通する「導きの神鳥」として信仰されるようになりました。

 

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熊野は「よみがえりの地」と言われてきました。
古来より日本では、人々が生活を営む里に対し、
山は神や祖先の霊が宿る神聖な場所である、
という考え方があります。
中でも熊野は神々が籠る深山の霊場であり、
訪れた方は心魂が甦り、新たな気持ちになります。
「人生、出発たびだちの地」と言われる所以です。
また、有史以前から続く自然信仰、
熊野修験に代表される山岳宗教、
そして神=仏であるとする神仏習合の信仰形態が相まり、日本固有の宗教観を育む土壌ともなりました。
熊野三山(本宮・新宮・那智各大社)では、
熊野本宮大社主祭神家都美御子神けつみみこのかみを「阿弥陀如来
熊野速玉大社の主祭神熊野速玉男神くまのはやたまおのかみを「薬師如来
熊野那智大社主祭神熊野牟須美神くまのふすみのかみを「千手観音」として
お祀りしています。
そして三山はそれぞれ、
本宮は西方極楽浄土
新宮は東方浄瑠璃浄土
那智は南方補陀落浄土
であると考えられており、 平安時代以降には熊野全体が浄土の地であるとみなされるようになりました。とりわけ本宮を中心とした地域は、「日本人の心の故郷」
「日本の原風景」と言われ、熊野の地を訪れた誰しもが、心洗われる聖地だと感じます。

 

【今日のよかった探し

4日も家を留守にして

帰ってきたら

家の中は

食器はすべて洗ってあり

洗濯物は干してあり

家族みんなの協力に

感動

感激

本当にびっくりしました。

あ~よかった。

 

今日も素敵な1日になりますように。