第65歩:熊野那智大社
キレイな姿勢をめざすブログです。
おはようございます。
第65歩 熊野那智大社
先月は、念願の熊野へ行きました。
和田裕美さんの「陽転」×「営業」白熱ツアー
5/12大阪そして、5/13熊野へ2日間連続で参加
しました。
ツアーに参加する前に熊野三山へ詣でました。
今日は、熊野那智大社について
熊野那智大社
熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)は
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある神社。
熊野三山の一つ。
熊野夫須美大神を主祭神とする。
熊野那智大社の社殿および境内地は、
ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』
(2004年〈平成16年〉7月登録)の構成資産の一部
熊野那智大社の鳥居
厳かな気分になる那智大社でした。
たくさんの階段を昇った先に
こんなにキレイな鳥居
朱色がまぶしいくらい
輝いて見えました。
那智大社も優しく
私たちを迎えてくれました。
八咫烏(やたがらす)
日本サッカー協会のシンボルマークになっている「八咫烏」は神武東征の折、道案内をしたといわれる烏であり、熊野の神様のお使いとされている。
延喜式には「三足烏 日之精也。白兎 月之精也」と記され、朝廷の儀式用装束や祭具に、また日本各地の祭では鉾や的に太陽と烏、月と兎が描かれる。
太陽の中に住む霊力を持つ鳥が「八咫烏」である。八咫烏の咫(あた)は寸や尺といった長さを表す単位の一つだが、八百万が「たくさん」を意味するのと同様、八咫は「大きい」を意味している。
当社では拝殿左手の御縣彦社(みあがたひこしゃ)にてお祀りされ、導きの神様・交通安全の神様と崇敬を集めている。
無事、大和までの道案内を務めた八咫烏は熊野の地に戻り、石に姿をかえて休んでいるといわれる「烏石」が境内に存在する。(公式HPより)
当社は神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)の御東征を起源としています。
西暦紀元前662年、神日本磐余彦命の一行は丹敷浦(にしきうら)(現在の那智の浜)に上陸されました。
一行が光り輝く山を見つけ、その山を目指し進んで行ったところ、那智御瀧を探りあてられ、その御瀧を大己貴命(おおなむちのみこと)の現れたる御神体としてお祀りされました。
神日本磐余彦命の一行は天照大神より使わされた八咫烏の先導により無事、大和の橿原の地へお入りになられ、西暦紀元前660年2月11日に初代天皇、神武天皇として即位されました。
先導の役目を終えた八咫烏は熊野の地へ戻り、現在は石に姿を変えて休んでいるといわれています。(烏石)
その後、熊野の神々が光ヶ峯に降臨され、御滝本にお祀りしておりましたが、仁徳天皇5年(317年)、山の中腹にあらためて社殿を設け、熊野の神々・御瀧の神様をお遷し申し上げました。
これが熊野那智大社の始まりとされております。那智の御瀧は熊野那智大社の別宮、飛瀧神社の御神体としてお祀り申し上げています。(公式HPより)
【今日のよかった探し】
ニコニコが伝染するか、やってみました。
ニコニコ笑顔キープで
「おはよう」と声がけをします。
まだまだ笑顔キープし続けます。
すると、思春期の娘も今朝はつられて
「おはよう!」
おっ、うまくいきました。最高の気分です 。
今日も素敵な1日になりますように。